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広島高等裁判所岡山支部 昭和49年(う)32号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人浦部信児および被告人の控訴の趣意は記録編綴の各控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、広島高等検察庁岡山支部検察官検事井阪米造作成にかかる答弁書のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これらに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

弁護人の論旨第一点について。

所論は、原判決は本件における警察官の職務執行行為が適法性を欠くものであったのにかかわらず、その点の吟味検討を怠り、適法行為であるとの前提のもとに被告人の本件所為を有罪としたのは、事実を誤認したものであり、ひいては法令の解釈適用を誤った違法がある。本件における警察官の職務執行行為は、次の諸点において違法があったというべきである。すなわち

一、真理探究の場である大学において、学生は学問的成果を承継発展させ、あるいは真理を探究しその普及にあたるなどの実践者として、大学の果たす学問的諸活動に参与しているのであるから、大学の構成員というべく、従ってその自由特に治安警備警察活動からの干渉妨害を受けない自由を厳に保障されるべきものである。他面、大学は官僚による支配機構という側面を有しており、大学当局が他の国家権力とりわけ警察権力と結びつく危険性があることは否めないところ、本件において岡山大学当局がした学生の告発、学内治安維持のための警備要請には、かかる学生の自由を侵害する危険性が顕著に看取されるのである。本件において警察力が岡山大学に導入されるに先立ち、大学の要請にもとづき大学との協議を経るという建前はとられたけれども、その大学当局たるや紛争の当初の過程においてはむしろ学生側に立ち、学生と共に警察権力に対抗しようとの姿勢を示していたのであり、学生側においても岡山大学におけるいわゆる学園紛争の発端が、そもそも学生と警察権力との衝突にあったが故に、警察に対する過度の対立感があって、一旦警察が介入すれば当然敏感な反応が予想される事態にあったにもかかわらず、警察当局はこれらの諸点に対する慎重な配慮を全く欠いたまま部隊を出動させており、その出動の規模・態様は緊急やむをえない程度の相当なものであるとは到底評価できないから、警察は大学当局と共に大学の自治を無視し、学生の自由を侵害したとの非難を免れないものである。

二、本件において、警察は検証・捜索等のため出動したというのであるが、その対象となった二つの被疑事件については、場所ないし物の存在・形状等につき検証・捜索すべき重要性はなかったものであり、また被疑者を逮捕するには数名の私服警察官が張り込むことによってでも可能であったから、かりに捜索活動等が必要であったとしても、それによっては直ちに本件における如き規模・態様による警察の大挙出動あるいは学生に対する挑発的行動までがすべて必要かつ相当であったとまではいえないのであって、本件における警察活動は、その緊急性・必要性・相当性のいずれの点においても違法であったといわざるをえない。

三、警察は本件出動にあたりある程度学生側の動向を把握し、その抵抗があることを予想していたのにかかわらず、これに対する慎重周到な対応策を欠いていた。すなわち事前に行なわれた警察部内の打合わせ会議において、捜査をいかに円滑敏速に行なうかの点を検討した形跡はなく、学生側の大規模な抵抗があることを予想しながら、これに対する有効適切な措置につき十分討議を尽くした形跡もない。すべては現場責任者の場当り的な判断・指揮に任されていたというずさんさであった。万一抵抗が予想される場合には、これと対決して実力によって排除することもできるが、また、衝突を回避しつつ所期の目的を達することも可能であって、本件にあっても摩擦なく大学構内に立ち入ることは、他の数個所の通用門を経ることにより可能であったのにかかわらず、かかる措置をとることは当初から度外視されており、この点からも警察の出動は過剰であったことが明らかである。

四、警察部隊の本件現場での行動はより一層違法性が顕著である。すなわち警察部隊はいわゆる陽動作戦をとり、学生と対峙している部隊のほかに別部隊を他に迂回展開したのであるが、この作戦は過誤というよりむしろ積極的に学生を挑発しようとして意図されたものであった。右作戦は、いかなる場合にいかなる意図のもとに、いかなる行動をとろうとしたものであるか、当の警察官すら明確に説明しえない行動であった。思うに、学生の抵抗目標を他にそらせ、抵抗の間隙をつくるためにとられた行動であろうが、目的場所に通ずる通用門が他にあったのであるから、ことさら間隙をつくる必要はなかったのにかかわらず、このような行動をとらずに無謀な部隊展開を試みている点において、当初から学生の投石による抵抗を予期しつつ敢行したものといわざるをえず、その意味において挑発性を内在しているものであった。かかる行動に出ようとするには、抵抗に耐える装備編成を事前に十分点検すべきであったのに、死亡した有本巡査の場合にはヘルメットを着用しておらず、そのために死の結果を防止できなかったのであって、右の点検を怠った部隊指揮者の軽率さが責められるべきである。また、投石が予想外に激しかったことも指揮者の状況判断が甘かったことを裏書しており、かつ投石下においても後退あるいは転進の余地が十分存したのに、無為無策のまま現場に停滞していたのであって、後退を命ずることは隊員の志気に影響するという趣旨の指揮者の証言は、全く見えすいた弁解である。他方、学生側から見ても警察部隊が、好個の標的となる位置に進出接近して来て、しかも他に移動しうる可能性があったのにそのまま釘づけになっていたことは、投石による抵抗の有効性を学生らに確信させ、ますます激しい投石をかりたてたのであって、ここにも警察側の挑発性を看取できるのである。これを要するに、抵抗する学生に対する反撃としては、東西両方向から容易に挾撃することが可能であった。すなわち、投石の射程距離外に散兵して、一気に西進して路上に進出し、東方からの部隊と挾撃することができたのであり、かくしていれば被害を少なくしつつしかも瞬時に学生集団を四散させえたのである。かかる機敏な行動が策定実行されなかったことは、警察側の挑発性を裏づけるものであり、警察官の犠牲が生じることを未必的に認容したものであるとの非難を免れないものである。

というものである。

ところで検察官は答弁書において、弁護人の右論旨は、弁護人が原審第二〇回公判において撤回した主張であり、これを再び当審において主張することは許されるべきでないと主張するので案ずるに、記録によれば、弁護人は原審第一回公判において、被告人の投石行為は大学の自治を擁護するために、また警察権力の学内への違法な介入を阻止するためになされた抵抗権の行使であると評価すべく、その意味において正当視さるべきものであって、違法性阻却事由が存する旨主張していたところ、第二〇回公判における弁護人の意見の冒頭においては、右主張を撤回していることが明らかであること検察官指摘のとおりである。しかしながら、弁護人は右意見のその余の部分においてなお本件控訴論旨と同旨の主張をし、警察官の職務執行行為の違法性を論破していることもまた明らかであるから、検察官の右答弁は理由がなく、よって進んで論旨につき検討を加えることとする。

ところで、本件は原判決も判示する如く岡山大学におけるいわゆる学園紛争の渦中において発生した事案であるので、以下論旨につき判断するに必要な限度で当時の岡山大学(以下「岡大」と略称する。)の学園紛争の発端、その後の経過特に大学当局と学生側との状況の推移、警察部隊が岡大に赴いた事情、その際の経緯、被告人の行動等につき一件記録により摘示すると、概ね次のようである。すなわち、

一、昭和四三年九月一七日、岡大構内を南北に貫く道路上において、同大学々生Yが警察官により逮捕される事件が発生した。右事件について岡大当局は、右南北道路は大学構内であるから、警察当局が大学に事前に了解をえずに、あるいは大学の要請もないのに、大学内に立入ったものであって、大学の自治を侵すおそれがあり遺憾であると考え、同月二〇日ごろ、その旨の声明を発表したが、学生側においても大学当局の見解に同調し、ここに、大学当局と学生とは協同して警察当局に抗議する姿勢を示した。これに対し警察当局は、右南北道路は公道であるから、大学当局の要請あるいは了解なく警察権を行使して差支えないとの見解のもとに、大学当局および学生と対立するに至った。その後、同年一二月末ごろ、右Yが起訴されるに及び、学生側はこれを不当起訴であるとしてますます反撥する気運が生じ、越えて昭和四四年(以下年の記載を略す)一月二〇日ごろ、岡大学生大会が開かれ、その席上において大学当局に対しいわゆる「五項目要求」をすることが決議されるとともに、その実現を目指して全学共闘会議(以下「全共斗」と略す)を結成し、全学ストライキも辞さないことが決定された。右五項目要求なるものは、1Yの起訴は不当であるから撤回せよ、2Y事件を処理した岡山西警察署長を告発せよ、3大学内に設けられている厚生補導委員会を解散せよ、4学長は自己批判せよ、5以上の事項を学生との大衆団体交渉において確認せよ、というものであり、全共斗は右要求を掲げて一月二三日、二九日、二月一日の三回にわたり大学当局と全学団交を行なったが、これには大学当局は大饗法文学部長を代表とする各学部長団が出席し、一月二九日の団交席上において一旦右五項目要求を受諾する態度を示したものの、右要求中の1、2など実行不可能な点があったためか、二月一日に至り右受諾の意思表明を撤回するに至ったが、なお学生とともに警察当局に抗議する姿勢をとり、二月三日には学生、教官各別々にではあるが警察当局に抗議する大規模な市中デモを行ない、岡山西警察署前に学生が坐り込むようなことがあり、一方学内においては、一月三〇日ごろ全共斗によって学内がバリケード封鎖される事態となった。そしてかかる岡大内の動静に対し、警察当局は、万一岡山西警察署長が告発されるようなことがあれば、告発者を逆に誣告罪で告訴するとの態度を表明し、大学当局および学生との対立はさらに深刻化するに至ったが、二月一五日に至り、全共斗活動家に関する情報を、学生課が警察に通報していると信じた一部学生によって、岡大学生課長川代重富に対し暴行を加えかつ学生課保管の公文書を持ち去る事件(以下「川代事件」という)が発生し、続いて三月二五日には岡大教授坂手邦夫に対し学生が暴行して負傷せしめる事件(以下「坂手事件」という)が続き、これら学生の行動に対し大学当局は右両事件の関係者の謝罪を要求するとともに、応じない場合は関係者を捜査当局に告発する旨表明したけれども、学生側が応じなかったため、三月三一日に至って、岡大学長赤木五郎は右各事件の関係者を岡山西警察署長に告発するに至った。この間にあって全共斗は、大学当局が一旦は五項目要求を受諾しておきながら数日後にこれを撤回し、さらに三月初めの入学試験について警察当局に警備を要請してこれを実施し、また学生を告発したことは学生に対する背信であり、変節であると感じて大学当局とも次第に対立するに至り、全共斗の組織にさらに広汎な学生を参加させるべく、それまでに存した拡大中央斗争委員会を解散して、全学代表者会議を結成し、単に少数の中央斗争委員にとどまらず、その他に各学部科の斗争団体代表者をも含めることとして組織の拡大強化を計り、Aがリーダーとなって二、三日に一回位の割合で右代表者会議を開き警察の強制捜査に対する対策等を種々討議したり、また、多くの学生が大学の建物内を占拠して寝起きしつつ四月一二日を迎えるに至った。

二、岡大学長から前記各事件の告発を受けた岡山西警察署では直ちに捜査を開始し、被害者その他関係者から事情を聴取したうえ、各事実とも大学内に於て学生集団により犯された事犯であるから、被害時の状況を確実に把握しなければならず、そのためには犯行現場を検証し、かつ関係個所を捜索して必要な証拠物件を押収することが必要であるとの判断のもとに、川代事件については被疑者O、同A、同Mの逮捕状、坂手事件については被疑者Sの逮捕状のほか、学生部学生課長室と学生会館ホールの各検証許可状、法文学部本館、教養部本館、学生会館二階各室、岡大共済会売店内学生委員室の計四個所の捜索差押許可状の発布を請求して同月一〇日右各令状の発布を受けた。そして同月一二日右令状による強制捜査を実行することを決定し、同月一一日岡山県警察本部土井警備部長は岡大大倉学生部長を通じて岡大学長に右趣旨を伝えて了解をえるとともに、必要な部隊編成を行なった。その編成は、岡山西警察署西山署長を捜査本部長とし、岡山県警察本部警備部警備課長守安輝次を大隊長として、検証隊、捜索差押検挙隊の各特科部隊および一般部隊に付置する付置特科部隊に約一四五名の私服警察官を充て、また強制捜査に対する妨害を警戒排除するための五個中隊約五五〇名の一般部隊から成り、右一般部長には投石等防止用の小楯約三九六個、大楯約八三個、ネット約一〇組を配分携行させ、かつ隊員には出動服・ヘルメットを着用させることとしていた。また、前記守安警備課長は、事前に三回岡大周辺を廻り、地形を調査し、部隊を進入させるための地形、道路状況を検討した結果、大学北側の道路を利用することは、附近が岡大学生の下宿街であるため適当でなく、また正門には既に堅固なバリケードが構築されていて困難であるから、大学西門から立ち入ることに決定していた。そして、四月一一日夕刻の段階では、学生が大学内に籠城して抵抗することはなく、精々一般学生とともにデモあるいは集会を行なって抗議する程度であり、かりに投石等の妨害があるにしてもさほど激しくはないであろうとの情勢判断をしていた。しかし、出動直前の四月一二日午前三時ごろに至り、学生が西門および東門にバリケードを構築していわゆる東西道路を封鎖し、かつ投石用に道路の敷石を破砕して準備中であるとの情報を入手し、当初の予定どおり西門から立ち入るとすれば学生がここに集中するおそれがあるとの判断のもとに、東門の方からも立入ることとして、東西両門から立入ることに方針を変更し、両方面に部隊を分け、前記守安課長が東門部隊を指揮することとなり、また同時刻ごろ土井警備部長は大倉学生部長に電話連絡して、再度岡大学長に対し強制捜査の実施を伝え、その了解を確認するとともに、現地に大学関係者の立会方を要請した。かくして準備編成を終った部隊は、午前五時二〇分ごろ岡山県庁を出発し、車両に分乗して岡大にむかい、東門部隊の先頭は午前五時三五分ごろ、東門附近のバリケード手前一〇〇メートル位に到着した。

三、四月一二日早朝の右警察部隊の動向は、岡大構内に泊り込んでいた学生側にいち早く探知され、同日午前二時ごろ大学内の非常ベルが鳴らされ、かつ学生会館二階に設置されていた強力マイクを通じ、警察部隊が今朝岡大に立ち入ることが告げられて、学生の参集を呼びかけた。これを知った全共斗議長Oほか、A、K、T某、I某らのリーダーを含む学生数一〇名は、学生会館附近に続々集合し、その多くはヘルメットをかぶり、タオル等で覆面していたが、同所においてAはマイクを通じてさらに多くの学生の結集を呼びかけ、またOは右学生らに対し、すでに代表者会議において決定していた警察部隊に対する戦術を説明したが、その内容は、警察の強制捜査に対してはデモ・坐り込みによって抗議抵抗し、投石による妨害は学生部に対する捜査に対して行なうに止めようというものであった。しかし、右Oは、右程度の戦術では到底立ち入りを阻止しえないと判断して、東西両門をバリケード封鎖するとともに同所において投石して立ち入りを妨害しようと提案し、これが右学生らによって賛同支持され、集合していた学生は東西両門に別かれ、直ちに各門に赴き、それぞれバリケードを構築し、附近の道路敷石を破砕して投石の準備をしたが、右Oは東門の学生らのリーダーとなり、同門附近にいた約五〇名の学生にバリケード構築・投石準備を指揮して待機するうち前記のとおり警察部隊が東門に接近してくるに至った。

そして、警察側から学生らに対し、「裁判官の発した令状によって、検証・捜索を行なうため学内にこれから立ち入る、妨害すれば公務執行妨害となる」旨の岡山西警察署長名の警告がマイクによって数回繰り返えされ、また、立会っていた菅教養部長も強制捜査を妨害しないよう数回学生に呼びかけたのち、警察部隊によるバリケード撤去作業が開始された。これを見た前記約五〇名の学生は、一斉に投石を始めたが、次第にその投石はし烈となり、遂に原判示の如き多数の警察官が負傷し、うち一名は後刻死亡するに至ったが、結局東門のバリケードは突破されて学生らは四散し、午前六時一五分ごろから各目的場所の検証・捜索が始まり、同七時二〇分ごろから七時四五分ごろにかけて逐次所定の捜査を終り、程なく警察部隊は岡大から退去した。

四、被告人は当時岡大医学部学生として教養課程を履修していたが、専らクラブ活動に熱心で、当初は前述の如き学内の動向に比較的無関心であった。次第に状況を聞知するようになってからも、必ずしも全共斗の方針に全面的には賛成せず、大学は何よりも討議の場であるべきであるとの信念のもとに、割合冷静かつ批判的に対処していた。前述の二月三日に行なわれた学生の抗議デモには参加し、坐り込みにも加わったが、それもリーダー的な立場においてではなく、多くの一般学生と同じ行動をとったにすぎなかった。その後、四月ごろに至り、近く警察当局が岡大に強制捜査のため立ち入るらしいという噂は聞知したけれども、学内に寝泊りする学生らに加わることはなかった。四月一二日午前三時ごろ、下宿で眠っていた被告人は、学生会館からのマイクの声で目が覚め、警察の立ち入りがあることを察知し、直ちに同会館に赴き、同所で、学友の結集を促し、かつ東門と西門とにバリケードを築いて警官隊の学内立ち入りを阻止しようとのマイク放送による呼びかけを聞いたが、自らバリケード構築、投石用の敷石破砕などはせず、これら作業に当る学生らの動きを傍観していたに止まり、他の学生からヘルメットを貸そうといわれても断って着用せず、一旦下宿に引き返してタオルを持参し、それで顔面を覆うていただけであった。そして西門附近にいた時、前記Oから「全共斗と共に戦ってくれ」との呼びかけを聞いた。そのうち、東門に警官隊が来たことを知り、走って東門に行ったが、既に前記のように警察部隊が東門のバリケードに接近していること、菅教養部長が何事か叫びながら接近して来ていたのを目撃したが、ほどなく学生らが前述のように警察部隊に投石を始めてもなおしばらく附近で被告人はこれを傍観していた。しかし、やがて警察部隊の一部が、バリケードを正面突破しようとしていた部隊とは別に、バリケード南側を迂回し、同所附近の野球場ダッグアウト後方を通過して側面からバリケード内部に進出しようとするに及び、この部隊に向けての投石が一段と激しくなるに至ったが、ここに及んで被告人も、附近に破砕されていた敷石の破片を手に、他の約五〇名の学生とともに右部隊の警察官に対し投石し、その回数は約二〇回位に及んだ。やがてバリケードが突破され、また右迂回した警察官らもバリケード内側に進出することに成功したので、その後被告人は東門内に逃げ込んだのであった。

右の如き経過・事情を前提として、本件における警察部隊の岡大への立ち入りそのものが大学の自治・学生の自由を侵害する危険性があったから違法であるとの所論につき検討する。

そもそも大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究するものであり、その成果は国民すべてが享有するものであるから、かかる大学本来の使命を果たすためには、大学における研究、教育が外部権力の干渉を受けないように、その自由を厳に保障すべきであることはいうを待たない。そのためにこそ、歴史的・伝統的に大学の自治が容認され、尊重されて来たものであり、憲法二三条が学問の自由を保障するとして広く国民一般の学問の自由のみならず、大学における研究・教育の自由および大学の自治をも保障しているものと解される所以もここにある。したがって、外部から大学に対し干渉・介入することは厳に慎しむべきものであり、特に強制力を伴う警察権力が大学に対し行使されるに当っては、いやしくも学問研究の自由、大学の自治を侵すことのないよう細心の配慮をすべきであることは当然である。しかし、このように大学における学問の自由を保障し、大学の自治を尊重することは、決して大学について治外法権を認めることではなく、大学に対し警察権を行使することを全面的に許さないとするものではないのであって、大学内において発生した犯罪につき、大学がその自主的判断にもとづき容疑者を告発し、その捜査を要請して犯人の処罰を求めている場合において、捜査機関が裁判官の発する令状により、大学側の了解を得たうえで強制捜査のため大学内に立ち入ることすら許されないとする根拠は全く存しないのである。これを本件についてみるに、岡大内において発生した川代事件・坂手事件につき、大学当局は関係者の陳謝を要求し、これがなされればあえて告発はしないとの態度であったが、右陳謝がなされなかったため、遂に告発するに至ったと認められること前述のとおりであって、これにもとづき捜査機関が捜査に着手し、裁判官の発する令状をえて強制捜査のため岡山大学に立ち入ろうとしたのであることも既述したところである。右告発は岡山大学々長赤木五郎名義でなされていると認められるが、これは同大学が大学の自治を自から尊重しつつ、その自主的判断にもとづき慎重に検討したうえで行なったとみるべきであり、かかる大学の判断の当否を云々すること自体、大学の自治の否定につながるものであろう。また、令状の発布を請求された裁判官においても、事件の特異性を慎重に考慮し、必要な司法的審査を加えたうえ、令状を発布したものと認められるのである。加えて、警察当局は、令状を執行するに当り、前日と、当日の二回にわたり学長にその旨伝えて了解を得、岡大関係者の立会を求めており、さらに、立ち入る直前には、裁判官の発した令状により強制捜査のため立ち入るものである旨を繰りかえし通告してその用務・目的を明らかにしていること前述のとおりであるから、警察当局は本件において岡大に立ち入るにつき十分慎重な配慮をしているものと解されるのであって、これを不当、違法とすべき理由は全くない。この点に関する所論は失当であって採用することができない。

次に所論は、本件において、警察当局が岡大に捜査のため立ち入らなければならなかった必要性は存しなかったし、その立ち入った警察部隊の規模・態様は過剰にすぎ違法であった、と主張する。

しかし、川代事件・坂手事件ともに大学当局と岡大学生との間の対立の中で岡大構内において発生した事犯であるところ、既に見たように当時岡大はYの逮捕・起訴に端を発した学生らによる学園封鎖が行なわれていた最中であって、このような岡大内部の客観的諸状勢の下で、捜査を遺漏なく遂げるためには、任意捜査によってこれを果しえたとは到底考えられず、現場を実地に検証し、事件に関係する証拠物を収集したうえ、被害者、その他関係者の供述と対比検討し、慎重な事件処理をすることこそ望ましかったと認められるから、そのため岡大に立ち入らなければならない必要性があったと認めるに十分である。そして、強制捜査の対象は、被疑者四名、検証二個所・捜索差押四個所であって、事件処理に不必要な建物・部屋等が検証、捜索差押の対象となっておらず、これらの各場所・建物等が大学構内各所に分散していたから、これら各個所につき速やかに必要な強制捜査を遂げ、能う限り短時間内で大学から退去できるようにするためには、前述の程度の規模の警察部隊が出動する必要があったと認められるのであって、大学内への滞留時間も比較的短時間であったといえる。しかも、当時の大学構内の状況は、既に見たとおり全学代表者会議によって指導された学生等が大学建物内に起居し、学園封鎖が続いていたのであって、これら学生による捜査の妨害がないとはいえなかったのであるから、万一生ずるかもしれない抵抗を排除し、不測の事態の発生を防止するためにも、本件における程度の人員は決して多きに過ぎるものとはいえず、必要やむを得ない程度のものであり、これをもって違法とすることはできないと判断されるのである。この点の所論も採ることはできない。

所論はさらに、警察部隊が慎重周到な配慮を欠いたまま、他の適切な手段・方法をとりうる余地があったのにそのような措置に出ることなく出動したことを論難する。

岡大に立ち入るについては、当時既に封鎖されていた正門のほかに、東門、西門があり、その他にも岡大北側道路を経て立ち入り、あるいは周囲の土塁を乗り越え、小通用門を通って立ち入ることが不可能でなかったと認められることは所論のとおりであるが、岡大北側道路附近には学生が多く下宿していて、万一の混乱がないとはいえず、かつ捜査の目的地から遠すぎて、不適当であると認められ、かかる方法をとらなかった警察当局の判断は適切であり、なんら責められるべきふしはない。そして前述のような程度の人員と、必要な器材を搬入するには相当数の車両を利用する必要があり、かつ目的地点に速やかに全員を到達させるためにも、土塁を越え、小通用門を経由する等の方法は適当でないと判断され、むしろ目的地点に比較的近い東門および西門から立ち入ろうとしたのは適切であったと認められるのである。また、警察当局が事前に地形等調査し、立ち入り地点を慎重に決定していることは既述のとおりであるほか、記録によると事前に幹部を招集し打合わせ会議を開き捜査方針の徹底を期したこともうかがえるのであって、所論の慎重周到な配慮を欠いたとの点はなんら認められない。この点に関する所論もまた失当である。

最後に所論は、岡大に到着してのちの警察部隊の行動を非難する。

東門に設けられていたバリケードが警察部隊の一部によって撤去突破されようとした際、学生側の抵抗、投石によって作業が進まず、そのために右作業を援護し、学生の抵抗を分散させるため、守安警備課長の命によって一部の警察官らが、右バリケード南側にあった野球場内に入りバックネット、ダッグアウト後方を通過してバリケード南西方に進出し、バリケード内側へと迂回しようとしたことは所論のとおりであるが、かかる行動に出たことについて所論のように不当視すべきものがあったとはいえない。なるほど学生らによる投石の射程距離外に大きく迂回してバリケード内側に進出しうる余地がなかったとはいえないことは認められるのであるけれども、そもそも右行動は投石による抵抗を分散させるためのものであったし、少数の人員を遠くに切り離すこととなるような運用方法が適切であっとは必ずしもいえず、一段と投石が激しくなることを予想してあえて行動を命じたものとも認めがたいのであって、右の行動を命令し、これに従って行動したことにつき強い非難に値するような過誤があったとはいいがたい。まして、右行動が学生側を挑発すべき意図で行なわれたと認むべき証拠はないのであって、この点の所論は、なんら証拠にもとづかない偏見というほかはない。右行動に際し有本巡査がヘルメットを着用していなかったことはまことに所論のとおりであって、同巡査にして若しヘルメットをかぶっていれば、あるいは投石を受けて死亡するという不幸な事態の発生を回避できたかも知れない。この点は誠に遺憾というほかはなく、かかる装備の不備を看過した指揮者・幹部の手落ちは所論のように責められるべきであろう。しかし、これら指揮者・幹部にしても、決して同巡査の死を未必的に認容しながらなお行動を命じたとはいえないのであって、精々点検の不行届があったといえるに止まるものと解され、まして所論のように本件出動現場における警察部隊の行動全体を違法にするほどのものとまではいえず、また、被告人の責任の軽重に影響があるかもしれないことはともかくとして、本件犯罪の成否そのものを疑わしめるまでの事由とはならないものである。この点に関する所論も失当である。

以上要するに原判決にはなんら事実誤認、法令適用の誤りはなく、論旨はすべて理由がない。

被告人の論旨について。

所論は、種々の視点から原判決を攻撃するが、その論点は多岐にわたっているので、これを要約することは避け、所論に沿いつつ逐次判断を加える。

先ず所論は原判決が「大学の自治」の問題を回避し、そのため本事件の本質を見逃し、単純な集団暴力事件として処理したのは不当である、という。

しかし、弁護人の控訴趣意第一点に対する判断において既に摘示したように、岡大における学園紛争の発端、その後の経緯、警察部隊が岡大に立ち入るに至った事情等は、一件記録上十分明らかにされているものと認められ、原審は証拠によって認められるこれら諸事情を前提として原判決を下していることはいうまでもなく、当裁判所も原審同よう記録上認められる諸事実にもとづき前述の摘示をしたものであって、これによれば、原審が本件を単に集団暴力事件として処理したものではなく、事件の本質を洞察することを怠っているともいえないことが明らかである。なるほど、原裁判所が「大学の自治」につきいかなる見解を有するかは判決書になんら示されていないけれども、それは原判決を下すに当り右の点についての見解を示す必要がないと判断したためであると解され、かつこの判断は当裁判所においても是認できるから、原判決は事件の本質を看過し、判断を回避しているとはいえず、原判決には判断遺脱とか、事実誤認とかの違法不当な点は存しない。

所論はさらに、被告人の本件現場における共謀の点に関する原判決の判示を攻撃し、右の点の判示は事実に反すると主張する。

既に弁護人の論旨第一点についての判断中に摘示したとおり、なるほど被告人は東門における投石を呼びかけた全共斗議長Oの提案を聞いておらず、また、道路敷石を破砕して投石用のコンクリート塊を用意したこともないことは所論のとおりである。さればこそ原判決は「同所に準備されていたコンクリートの塊などを」と表現しているのであって、「被告人が準備した」とは認定していないのである。ところで被告人は前摘示のように、岡大当局の告発により警察部隊が近日中に岡大に立ち入るかも知れない噂を聞いており、当日早朝この予測が現実化したことを知って岡大構内に赴き、バリケードによる立ち入り阻止を呼びかける放送を聞き、また前記Oから共に戦って欲しい旨の呼びかけを受けていたが、バリケード南側を一部の警察官が迂回しようとし、これに対し附近の学生からの投石が一段と激しくなるに及び、それまでの傍観的立場を棄てて、附近に用意されていたコンクリート塊を手に、他の約五〇名の学生らの投石行動に同調して自ら投石をくりかえしたものであって、かかる被告人の行動は、原判示のとおり「バリケード西側附近に集合していた約五〇名の学生と投石により警察部隊の学内立ち入りを阻止しようと意思相通じ」て犯したものと認定するに十分であり、従って被告人は投石を共謀して犯したものと判断されるのである。この点の原判決の認定、判示は適切であっても、なんら誤りはない。

所論はまた原審における検察官の論告要旨について反論する。

しかし、論告は訴追官である検察官が、証拠調を終った段階において、その訴追官としての立場から被告事件についての意見を述べるものであって、もとより裁判所の判断を拘束する性質のものではないから、論告の内容が不当であるとか、証拠にもとづいていないとかは、それが直ちに原判決に対する控訴趣意となるものではない。従って右の所論は、控訴趣意として不適法であるといわざるをえない。また、所論において被告人が主張している諸点の理由がないことは、既に説示したところに明らかである。

所論はまた弁護人の弁論・被告人の最終陳述に対し原判決が納得できる説明をしていないとも非難する。

しかし、原判決は、その掲示する証拠を総合してその判示事実を認定し、これによって弁護人の弁論・被告人の最終陳述にもかかわらず被告人に刑責があることを認めているのであり、判決の理由として欠けるところはないから、被告人が原判決に承服できないと感ずることはともかくとしても、所論の非難は失当というほかない。

所論はさらに、公判調書の記載の不正確を指摘する。

しかし、公判調書の記載の正確性につき被告人に異議ある場合においては、刑事訴訟法五一条に定める期間内に申立すべきものであるが、被告人の右所論は右法定期間になされたものでないこと記録上明白である。そして、右法条にもとづく公判調書の記載の正確性についての異議を申立てないで、控訴趣意書において不正確を主張することは許されないと解されるから、右所論には判断の要がない。

次に所論は、警察部隊出動の情報が事前に学生側に洩れており、若しかかることなく隠密行動をとっていればバリケード構築・投石準備が行なわれなかったはずであり、また有本巡査がヘルメットを着用していなかったのは警察部隊の指揮者の過誤であるのに、これらの点についての判断が原判決には見当らない。また、警察部隊が当初の西門からの進入の予定を変更し、東西両門から進入することとしたのは適切でなかったし、別の個所から立ち入ることが可能であったのにそのような行動をとらなかったこと、警察部隊の一部がバリケードの側方に迂回進出したこと、さらに右一部の部隊員が投石を受けながら後退あるいは転進の行動に出なかったことは、すべて学生を刺戟したものであって、指揮者の過誤であった、とも主張する。

四月一二日早朝の警察部隊の動向が学生側に探知され、これを契機に岡大構内の学生間に強制捜査を阻止しようとの気運がみなぎり、バリケード構築、投石準備等が急速になされたことは既に摘示したとおりであって、若し完全に隠密行動に出ていればなるほど本件におけるほどの激しい投石はあるいは避けられたであろうけれども、前述の規模の警察部隊を出動させるに当り、そのような行動を容易にとりうるとは到底考えられない。まして、本件における警察部隊の岡大への立ち入りになんら違法不当の点がなかったことは既述のとおりであるから、警察が隠密行動をとらなかった故をもって、強制捜査を阻止するためのバリケード構築、投石準備、さらには実力による阻止行動が正当化されるものでもない。有本巡査がヘルメットを着用していなかったことは、部隊指揮者の過誤といえることは既述のとおりであるが、さりとて、これによって被告人を含む約五〇名の学生による投石行為が正当視されるものでないことも自明であろう。これらの点につき原判決は格別の判断を示していないことは所論のとおりであるけれども、被告人を有罪とした原判決は、反面本件における学生らの抵抗・阻止行動、さらに投石行為を違法であると評価しているのであり、判決の理由の記載として欠ける点はなんら存しないのであるから、原判決には判断遺脱とか理由不備とかの違法は全く存しない。さらに、当初の予定を変更し、東西両門から進入することとした判断に不適切なものがなかったこと、警察部隊の行動が学生を刺戟したとの各指摘が理由がないことも、既に弁護人の控訴趣意第一点に対する判断において示したとおりである。

所論はまた、弁護人が、原審第一回公判において、被告人の行為につき正当化事由が存すると主張したにもかかわらず、原判決はこれに対する判断を示していないと主張する。

しかし、弁護人は原審第二〇回公判における被告事件についての弁論冒頭で右主張を撤回していること記録上明らかであるから、原判決が判断を示さなかったのは当然である。

所論は、被告人は警察部隊が立ち入るに当っての岡山西警察署長名の警告を聞いていない、とも主張する。

被告人が右警告を聞いたと認めるに足る証拠がないことは所論のとおりである。しかし、被告人は近日中に警察部隊が岡大に立ち入るとの噂を聞いていたし、当日早朝岡大構内に赴いて、右の事態が現実となったことを知り、しかも東門附近において制服の警察官多数がバリケードを突破して岡大に立ち入ろうとしているのを目前にしたこと前述のとおりであるから、警察官が強制捜査のため岡大に立ち入ろうとしていることを当然了知したものと認められるのである。従って、右警告を聞かなかったとしても、そのことは被告人の刑責になんらの影響も及ぼさないのである。

所論は、負傷した有本巡査に対する医師の救急措置が適切でなかった、とも主張する。

≪証拠省略≫を総合すると、右側頭部に投石を受け負傷した有本巡査は、同僚の酒本巡査に抱えられながら東方に後退し、救急車によって病院に急送されたが、病院に搬入された当時頭痛・嘔吐感を訴え、有本と筆書することはできたが発言は不可能であったことが認められるところ、原審における証人島田彦造の証言によると、朝六時ごろ病院に搬入された有本巡査は、一〇分ないし一五分のうちに右島田医師の診察を受けたが、その際既に意識は不明であり、側頭部に傷を受け、同じ側の瞳孔が散大しており、頭蓋内血腫と判定した同医師は、酸素吸入を行ないながら頸動脈血管撮影をして血腫の位置とその程度を確認したのち、二時間ないし二時間半後に開頭手術に着手しており、開頭手術に着手するためには右程度の時間は必要であって、脳の場合血腫の位置など確認せずにいきなり開頭して患部を探すようなことはできないというのであり、右証言内容につき疑念をさしはさむべき筋は全く認められないのである。島田医師の救急措置に格別不適切な点があったとは認められない。所論は、島田医師の証言中の、打撃を受けた反対側に血腫ができることがある、との部分は医師の証言とは思えないような発言であるという。しかし、側頭部に打撃を受けた場合、衝撃によるエネルギーの伝達によって、打撃部位の反対側に血腫を見ることがあるのはむしろ医学上の常識であって(例えば、上野正吉著「新法医学」六〇頁硬膜外出血の項参照)、所論の非難は当らないものである。

所論はまた、被告人は投石により人を死に致らしめておらず、また負傷もさせていないから、傷害致死の罪に問われる覚えはない、と主張する。

しかし、原判決認定のとおり被告人は約五〇名の学生と共謀のうえ、投石を実行したものである以上、何人の投げた石塊によって有本巡査が死亡したか確定できないとはいえ、共謀者全員が投石による結果発生につき等しく責任を負うべきは当然である。被告人が傷害致死の責任を免れることはできない。

所論は最後に、被告人の司法警察員に対する供述調書は、多分に誘導的な尋問により作られたものである、と主張する。

しかし、原審において右調書は弁護人において証拠とすることに同意しその任意性はなんら争われなかったものであって、当審においてあらたに任意性を争うことは失当であるのみならず、記録を精査しても右調書につき任意性を疑うべきふしは全くない。

以上詳細検討したとおり、被告人の論旨はすべて理由がないといわざるをえない。

弁護人の論旨第二点について。

所論は要するに原判決の量刑は重きに過ぎるからさらに減刑されたい、というにある。

既に詳細に検討したところから明らかなように本件は強制捜査という公務に従事中の警察官らに対し、激しい投石を浴びせて、そのうち一名を負傷死亡させ、多くの負傷者を見た事案であって、投石を共謀し実行した被告人の刑責は決して過小評価することができないものである。しかし他面、被告人は比較的冷静かつ批判的に学内の動向に対処していたのであって、決して指導的立場にあったものでないことも明らかである。投石行為にも中途から参加したものと認められ、この点酌むべき事情があるといえよう。しかし、これらの点を含む被告人に有利な諸事情は、原判決の量刑の中に十分折り込まれているものと認められるのであって、傷害致死としては最低の懲役二年の刑に処し、かつその執行を猶予し、しかもその猶予期間は二年という比較的短期間としていることに、それをうかがい知ることができよう。記録を精査し、右量刑の当否を考えても、右量刑はまことにやむをえないものと判断され、重きに失し破棄すべきものとは到底いえない。原判決には量刑不当の違法はなく、論旨も理由がない。

以上のとおり、被告人・弁護人の控訴趣意はすべて理由がないから、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 谷口貞 大野孝英)

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